哀涙の政実を訪ねて。 政実関連史跡を巡る







   
九戸神社(九戸村)
承和9年(842)の創建と伝えられる九戸地方の総鎮守。九戸家代々が戦勝を祈願した神社として知られています。





政実公の首塚(九戸村)
三ノ迫(宮城県栗原市)で斬首となった政実公の首級を、家臣がひそかに持ち帰り、葬ったと伝えられる場所です。




長興寺(九戸村)
永正元年(1504)開山の古刹で、かつてはこの地域一帯の文化の中心であるほか、九戸氏代々の菩提寺としても知られます。境内にある村指定の大イチョウは、政実が出陣の時にお手植えしたものと伝えられています。

 




古梅園(二戸市)
政実遺愛の梅園と伝えられていますが、他に政実公のお姫さまが逃れるところを敵に見つかり自害した折、侍女に形見の木として植えさせたともいわれ、六弁の梅(ろくぶのうめ)が咲く老梅が残っています。




小祝(こいわい)の祠(二戸市)
九戸方向へ向かい白鳥の「小祝」バス停から左に入った所に張り出した岩があり、その岩陰に小さな祠が3つ並んでいます。山の神とも言われますが、地元では政実公のお姫さまを祭った祠と伝えられています。






姉帯城跡(一戸町)
九戸氏の一族である姉帯氏の居館。馬淵川北側の50m以上の断崖上に築かれた典型的な山城ですが、天正19年、九戸城攻略の前哨戦で落城しました。






亀千代惨殺の場(青森県田子町)
亀千代斬殺場所には三ノ迫、村松の蒲生陣内のほか、「田子照夫家文書」や伝承に田子町佐羽内が挙げられています。





若宮八幡宮(青森県田子町)
九戸城落城時、13歳と伝えられている政実の一子亀千代には生存説・斬殺説と共にゆかりの地も数ヶ所伝えられており、この若宮八幡宮は斬殺された亀千代を祭神としています。





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