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史跡九戸城跡

遺跡概要

所在地 二戸市福岡字城ノ内地内
調査期間 平成26年7月3日から12月3日
調査面積 416u
時代 中世、近世
出土遺物 陶磁器(染付・瀬戸美濃)、鉄製品、銭貨
概要  史跡九戸城跡は、西は馬淵川、北は白鳥川、東は猫渕川と三方が川に面しており、それぞれ九戸城の外堀となっています。城は本丸・二ノ丸・若狭舘・石澤舘・松ノ丸・三ノ丸の曲輪と、武家屋敷跡である在府小路遺跡とで構成されています。1591年の九戸城落城後、豊臣秀吉の命を受けた蒲生氏郷によって本丸・二ノ丸・松ノ丸が近世城郭に改修されましたが、若狭舘と石澤舘は中世城郭のままと考えれられています。
 1989(平成元)年より、史跡整備のための内容確認調査が本丸と二ノ丸東側で継続して行われています。本丸では礎石建物跡を含む掘立柱建物跡が確認されていますが、遺構数はあまり多くありません。二ノ丸東側では、掘立柱建物跡や竪穴状遺構、堀跡、門跡、柵跡が確認されています。

調査の様子

 今回の調査では「九戸城期と福岡城期の土塁の構造解明」と「二ノ丸東端段差上部における九戸城期の様相の解明」を目的として、大手門東側に調査区を設定しました。
調査の結果、堀状遺構1基・溝跡1条・土坑1基・柱穴100個以上とともに土塁の基底部が確認されました。
 当初堀跡と考えられていた堀状遺構は土塁とほぼ並行して延びていますが、途中で途切れており、幅は約3m以上、深さは1.2m、底部は平らな箱形でした。埋土底部からは瀬戸美濃産の折縁菊皿や永楽通宝が出土していますが、性格は不明です。
 土塁は基底部と思われる白色火山灰が東西方向へ帯状に確認されました。土塁の厚さは0.8mで、傾斜は緩く、土塁下の地山近くまで攪乱があったため、上段は大きく削平されたと思われます。また、調査区西側を断割ったところ、版築の可能性がある細かな層の単位が見つかっています。
 柱穴は全部で100個以上確認され、その中で掘立柱建物跡が想定されます。
 遺物は、瀬戸美濃産の灰釉陶器や染付などの陶磁器が検出時にまとまって出土しており、それ以外では銭貨の出土がありました。

 

 
柱穴検出状況                        作業風景
 
土塁断割               土塁断割(白色火山灰確認)


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