平成18年1月1日、旧 二戸市 と旧 浄法寺町 が合併して、新しい 二戸市 が誕生しました。
二戸市 市史編さん室では、新しい 二戸市 の発足を記念して、『福岡通りの三十年(藩政前期の浄法寺通りと福岡通り)』を編集、発行しました。
今から三百年以上前、福岡と浄法寺の二つの代官所が統合されて、一つの行政区として、新しい福岡通りが発足しました。現代の新 二戸市 の誕生を連想させる出来事です。
本書は、この統合前後の三十年間の地域の様子を、盛岡藩家老席の執務日誌「雑書」から抄録したもので、当時の二戸地域の行政・民生・産業・宗教・災害から地域の県下の至るまで、家老席で決済されたあらゆる事項が記録されています。
雑書には、年ごとの漆の産額や、藩内の蝋価格を左右した米沢の蝋卸蔵の存在、地域には伝承されていない浄法寺村の紙漉職人のことまで記載され、郷土の昔を知るための貴重な資料となっています。
「雑書」の復刻では、 盛岡市 教育委員会の『盛岡藩雑書』が有名ですが、二戸地域に関する記事には、残念ながら誤りもあるようです。
本書は、原書のマイクロフィルムを解読して稿を起こし、併せて『盛岡藩雑書』の誤りを訂正したほか、難しい原文に親しみの薄い人たちのため、詳しい注釈をつけ、一つの事件について、その郷土史的な背景や、関連事項も知ることが出来るように詳しい説明をつけました。
また、雑書そのものに関心がある方のために、別に「雑書の成り立ちと謎」の章を設け、その内容・書式の変遷、原書の保存と更新、雑書に盛られた興味ある内容や、記載の誤りなど、雑書全般について、やや専門的な解説も収録しました。
注釈は、これまで定説がなかった浄法寺通りと一戸通りの廃止・統合の時期、昔の天台寺の祭りや浄法寺椀、市日の変遷など、地域の出来事のほか、未確認飛行物体や亡霊の出現など多岐にわたっています。
そのほか、一時期三戸城代が郡代に相当する役割を勤めたこと、二戸の上斗米月山神社が雑書で「三戸月山」と公称される理由、藩内の修験者のうち二戸郡だけが羽黒派であること、五日町の市日の変遷、「キンタイチ(金田一)」は古来「キンダイチ」であったこと、雑書に記載された馬の難病の二戸地方での治療法など、これまで知られていない情報も多く収録しました。
さらに、「雑書の成り立ちと謎」の章では、雑書そのものにある書き違いや乱丁の検証、福岡通りの僧侶たちが代官に立ち向かった死刑囚奪取事件や、幕末の御用金盗難事件など、闇に葬られた珍しい事件にも触れたほか、盛岡藩の奇習「南部の私大」が、どういう変遷をたどって定着したかなど、本書でしか得られない情報が多く含まれています。
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